
『子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気』岸見一郎の要約と書評|叱らない、ほめない子育てを親はどう受け止めるか
- 書名
- 子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気
- 著者
- 岸見一郎
- 出版社
- 幻冬舎
- 単行本発売日
- 2016年10月6日
- ISBN(単行本)
- 9784344030138
- 幻冬舎の書誌情報
家事と子育てのスキマで経営する3方よしAI共創コンサルタントの田中啓之、ひろくん(@passion_tanaka)です。
この本は、親の立つ場所を問い直す本です。言葉の言い換え集ではありません。
実は私、この本とぶつかる文章を書いています。
2018年に書いたブログです。
子どもの失敗には、トライした行為をほめるようにしている。
そう書きました。
一方、この本の第一章は「ほめない」です。
さて、どうしましょう。
全3章の要点と、私がどこで頷き、どこで引っかかったかを章ごとに書きます。
3行でわかるポイント
- 叱ることも、ほめることも、親子を対等に見ていない。著者はそう指摘します。
- 勉強は子どもの課題。親が話すなら、先に子どもの合意を取ります。
- 役に立てた感覚が、課題に向かう自信を育てる。その援助が勇気づけです。
『子育ての勇気』の要約|本の背骨は子どもの自立

この本の背骨は自立です。
著者の岸見一郎さんは、まえがきで教育の目標を「自立」だと書いています。
土台はアルフレッド・アドラーの心理学。
中学受験情報誌の連載に加筆・再構成した本で、幻冬舎から出ています。
勉強の話が厚い。
ここが特色です。
著者が挙げる自立の条件は三つです。
- 自分が決めなければならないことを、自分で決められる
- 自分の価値を自分で決められる
- 自己中心性から脱却できる
全3章は、この条件に向かって進みます。
第一章で、叱ることとほめることを問い直す。
第二章で、勉強は誰の課題かを考える。
第三章で、子どもが課題に向かう自信を見ていきます。
いいなと思うのは、著者自身が迷った親だったことです。
子どもとどう接すればいいかわからず、試行錯誤した。
まえがきにそうあります。
高い所からの話じゃないんですよね。
アドラーの考えはシンプルでも、実践は容易ではない。
著者はそこも隠しません。
全3章の要点と、私がどこで頷き、どこで引っかかったか
第一章|叱らない、ほめない子育て

第一章は、叱ることの効き目を疑う所から始まります。
何度叱っても、子どもの行動が変わらない。
それなら方法として適切ではないのでは?
著者はそう問います。
叱ればその場では止まるかもしれません。
でもそれは、親が怖いだけ。
何かを学んだわけではない、という見方です。
さらに踏み込みます。
子どもは、叱られるとわかっていてあえてすることがある。
親の注目を自分に向けたいからです。
無視されるより、叱られるほうがまし。
だから叱っているからこそ問題行動が続く場合がある、と著者は書きます。
知らないだけなら、普通に言葉で説明すればいい。
叱るのは、子どもを対等に見ていないから。
ここ、親にはなかなか痛い所です。
じゃあ、ほめればいいのか。著者の答えはノーです。
ほめられなければ適切な行動をしない子ども
ほめて育てると、こうなる恐れがある。
まわりにほめてくれる人がいるか確かめてから、ゴミを拾う。
そんな例も出てきます。
代わりに著者が示すのは、貢献に目を向ける言葉です。
電車で静かにできたなら「静かにしてくれてありがとう」。
短い一言です。

親の覚悟の話も並びます。
子どもの人生は子どものもの。
失敗の責任は子どもが取る。
親の理想から引き算せず、目の前の子どもを見る。
尊敬を意味するrespectの語源は「再び見る」だそうです。
この子もいつか自立して離れていく。
そう見直すことが尊敬だと著者は言います。
叱ることを体罰と同じとまで書く箇所もあります。
かなり強い言葉です。
その隣に、救いも置かれています。
悪い親がいるのではなく、関わり方を知らない下手な親がいるだけ。
接し方は学べる、という話です。
私の場合|ほめると書いた2018年の自分を、消さずに読み返す
第一章で一番引っかかるのは、私自身の文章です。2018年に書いたブログに、牛乳の話があります。
牛乳を自分でコップに注ごうとして盛大にこぼした時がありました。失敗して本人も悔し泣き。2018年1月10日「2歳児イヤイヤ期は最大のチャンス?モンテッソーリ教育本の4つの参考ポイント」
自分でやろうとして、こぼして、悔しくて泣いている。
ここで怒鳴ったら、次は注がなくなる。
当時の私はそう考えました。
感情的には難しいけれど、ぐっとこらえる。
そう書いています。
叱らない。ここまでは本と同じ方向です。問題はその次です。
失敗もたくさんしてくれます。が、トライした行為をほめるように心がけています。
はい、ほめると書いてますね。
本はほめないです。
違います。
この違いを、今の言葉でなかったことにはしません。
あれは勇気づけのつもりだった、なんて当時の文章のどこにも書いてないんです。
じゃあ、どっちが正しいのか。
うーん、私はここで勝ち負けをつけたくないんですよね。
2018年の私が見ていたのは、結果よりトライでした。
こぼれた牛乳より、注ごうとした手。
ここは本が大事にする過程への注目と近い。
でも、ほめるという言葉の立ち位置は、本の指摘どおり上から下かもしれません。
同じ一文に、頷ける所と刺さる所が同居しています。
今回持ち帰るのは、ほめるのをやめるという正解ではありません。
声をかける時、自分はどこに立っているか。
その問いです。
上から点をつけているのか。
同じ高さで、こぼれた牛乳を見ているのか。
同じ言葉でも、立つ場所で別物になる。
私はそう受け取りました。

別の引っかかりもあります。
当時の記事には、危険なことをした時は注意をする、とも書いています。
感情任せにならないように、とも。
注意と叱るの境目はどこでしょう?
今回この本と並べて、私はこう読みました。
2018年の文が見ているのは、感情任せかどうかです。
本が見ているのは、親が怖いだけでは何も学べないこと、子どもを対等に見ていないことです。
感情を抑えた注意でも、上から言えば、本の問いは残るのかもしれません。
ただ、2018年の文章と本のあいだで、私の答えはまだ揺れています。
第二章|勉強ができる子、できない子

第二章の軸は、勉強は子どもの課題だということです。
誰も代わりに勉強できません。
しなかった結果も子どもが引き受けます。
では、なぜ親は口を出すのか。
一言でいえば、子どもを信頼していないから。
著者はそこをはっきり書きます。
言わなければ勉強しない、と思っているわけです。
じゃあ親は黙って見ているだけ? そうとも限りません。話したいなら手続きを踏みます。
まず勉強について話をしたい、と親が子どもにいい、話をしてもよいという子どもの合意が必要です。
断られたら、話はそこで終わり。
またいつでも相談にのるから、と伝えることはできます。
ゲームも同じです。
力ずくで取り上げると、後々の親子関係をこじらせる。
著者はそう見ています。
時間はかかります。
即効性を求めないことが大切、とも念を押します。

勉強そのものの捉え方も問い直されます。
勉強は立身出世のためではない。
知らないことを知る喜びがあり、やがて他の人に貢献するためのもの。
そう著者は書きます。
駅で列に割り込んだ小学生の話が出てきます。
塾へ急いでいたのかもしれません。
でも、どれだけ成績がよくても、自分のことばかり考えるようでは困る。
アドラーの言う教科で教えるとは、教科を通して共同体感覚を育てることでした。
受験生の家庭に向けた話も具体的です。受験生を特別扱いしない。家事も分担する。家族の一員として協力できて初めて、勉強も進む。著者はそう考えています。
親がイライラした時はどうするか。
一番簡単なのは、子どもを見ないこと。
見放すのではなく、距離を取るだけです。
親は親の人生を楽しんでいい。
この言葉に、少しホッとする親は多いかもしれません。
私の場合|上着と靴下を選ばせた朝から、勉強の手前を読み替える
第二章は勉強の話です。ただ、私がこの章に重ねたいのは勉強じゃありません。朝の上着と靴下です。2018年に書いたブログの一節です。
保育園に出る朝、いつも上着や靴下を着替えさせるのに長時間かかっていたのが、本人に選ばせると驚くほどスムーズに。逆にお気に入りが洗濯中だと不機嫌で怒ったりしますが(笑)
書いてあるのは朝の着替えまでです。勉強の場面の話でも、受験を見てきた話でもありません。だから、選ばせれば勉強もうまくいく、とは書けないんです。
それでも構造は重なります。
親が答えを決めて着せる朝。
子どもが自分で決める朝。
同じ上着でも、決めた人が違う。
本の言う合意も、同じ場所を見ていると思うんです。
勉強の話をしていいかを、先に聞く。
親が答えを持って踏み込まない。
今回の私の解釈はこうです。
親の仕事は、答えを決めるより、選べる環境を置くほうにあるのでは、と思うんです。
2018年に書いたのは、上着や靴下を本人に選ばせた朝まで。
勉強では、話してもいいし話さなくてもいいという間合いがそれに当たるのでは、と今回は読みました。
形は違っても、決める人を子どもに残す点が重なります。

で、ここが違和感です。
当時の私は、驚くほどスムーズと書いています。
朝が回るのは、親にとって助かること。
そこがちょっと怖いんですよ。
選ばせることが、親の望む結果へ運ぶ手口になっていないか?
勉強だと、この危うさが濃くなります。
自分で決めていいよ、で、いつ勉強するの?
これ、選ばせてないですよね。
お気に入りが洗濯中で不機嫌になる話も、2018年は(笑)で書いていました。
でも今読むと、ここが大事かもしれません。
自分で選ぶ人は、思いどおりにならない時に怒ります。
選べる環境は機嫌を保証しない。
結果を握らず、選ぶ人の怒りごと受け取れるか。
私に問われているのは、そこです。
第三章|一生強く生きられる勇気づけ

第三章は勇気づけの章です。
親が子どもの人生を代わりに生きることはできません。
できるのは、子どもが自分の課題を自力で解決できると思える援助です。
アドラーはこれを勇気づけと呼びました。
ただし容易ではありません。
子ども自身が、課題に取り組まないと決めていることが多いからです。
なぜ取り組まないのか。
結果を怖れるからです。
著者の息子が通った保育園の竹馬競走の話が出てきます。
上手に乗れた女の子が、途中で失速すると競走から離れてしまう。
悪い点数を怖れて挑戦しない子どもに、著者はこの姿を重ねます。
何かの理由を持ち出して課題に取り組まない。
これをアドラーは劣等コンプレックスと呼びます。
一方で、劣等感そのものは悪者ではありません。
主観的なものであり、今の自分より前に進む原動力にもなる。
著者の見立てです。
他の誰かと競うのではなく、今の自分と比べます。
著者自身、通知表の算数の3に慌てた話を書いています。
親が注目するのは結果より過程。
「頑張ったね」はそのための言葉です。
では、自信はどこから来るのか。著者が置くのは貢献です。
子どもができる貢献は、最初は些細なことかもしれません。
それでも役に立てたと思えれば、自分を好きになれる。
やがて直面する人生の課題に向かう自信にもつながる。
著者はそう書きます。
だから「ありがとう」「たすかった」です。

短所を長所に置き換えて見ることも勧めています。
飽きっぽいのではなく決断力がある、という具合です。
頼む時は命令せず、「~してくれると嬉しい」とお願いする。最後に親に残るのは、子どもが自分の判断で人生を決める援助だけ。章はそこで閉じます。
私の場合|食器とティッシュの小さな手に、貢献という言葉を重ねる
2018年のブログに、こんな場面があります。自分でできることは手の届くところに置く、という話の続きです。
お片付けや鼻をかんだティッシュなどは自分でゴミ箱に捨ててくれるようになりました。…食器をキッチンに運んだり、リモコンを取ってもらうなど日常生活で貢献?してくれるところ。
貢献のあとに、はてなマークが付いているんですよ。
当時の私自身、言い切っていません。
先に大事なことを書くと、これはモンテッソーリ教育の本を読んでやっていた話です。
アドラーの勇気づけを実践した話ではありません。
保育園で教えてくれた効果もあると思う、とも書いていました。
だから混ぜません。
別の本から来た行動です。
そのうえで第三章に照らすと、あのはてなマークの見え方が変わります。
些細でも、誰かの役に立てた感覚の入口だったのかもしれない。
そう思うんです。
私の読み替えはこうです。
手の届く所に物を置くのは、環境の話。
ありがとうは、言葉の話。
環境があるから手が動き、動いた手に言葉が届く。
別々の本の話を、私が今回つないでみました。
当時の記事に書いてあるのは、物を置いたことと、トライをほめようとしたことまでです。

違和感もあります。
貢献感を持たせよう、と親が狙った瞬間に話がズレる気がするんです。
手伝わせて、ありがとうと言って、自信をつけさせる。
設計としては綺麗です。
でも、子どもを結果へ運ぶ段取りにも見えます。
当時の記事でも、必要以上にやってくれて失敗もたくさんする。
不機嫌だとおもちゃを投げたり叩いたりもする。
貢献の物語には収まりません。
本は「無事に生きていることだけでありがたい」とも書きます。
私はこの言葉を一番信じたい。
役に立ったからありがたい、の手前に、いるだけでありがたいがある。
その順番を忘れたありがとうは、たぶん、ほめ言葉に戻ります。
第一章の問いに、ここで戻ってきました。
実践編|子育てで試したい勇気づけの言葉

本の言葉を、家の場面に置き直してみました。どれも、子どもを思いどおりに動かす呪文ではありません。著者も、即効性を求めないことが大切だと書いています。
| つい出る言葉 | 場面 | 本を手がかりにした言葉 |
|---|---|---|
| 片づけなさい | 頼みごとがある | 片づけてくれると嬉しい |
| 勉強しなさい | 勉強が気になる | 勉強について話をしたいんだけど、いいかな |
| じゃあ勝手にしなさい | 話を断られた | またいつでも相談にのるから、その時は話してね |
| えらいね | 静かにしてくれた | 静かにしてくれてありがとう |
| だから言ったでしょ | 点数が悪く落ち込んでいる | つらそうだね。何かできることはある? |
| 怒りのまま言葉をぶつける | 親がイライラしている | いったん子どもを見ないで距離を取る |
左の列は、親なら出そうな言葉です。責めなくていいと思います。著者の言う下手な親は、学べる親のことだと私は受け取っています。
私が一番むずかしいと感じるのは、勉強の行です。
話していいかを聞いて、断られたら引く。
これ、親の胆力がいります。
しかも「勉強してくれてありがとう」は使えません。
子どもは親のために勉強しているわけではないからです。
ありがとうが届くのは、勉強以外の場面。
だから著者は、普段の関係を先に見ます。
1場面だけ選んでみる。それで十分だと思います。自分の家の言葉に直す時は、AIを道具に使えます。子どもの名前は貼らず、場面だけを渡してくださいね。
AIエージェントに渡して、自分の家庭に当てはめる
下の枠の中に、この記事のURLが入っています。
Claude CodeやCodexなど、普段使っているAIエージェントに貼ってみてください。
記事を読んだうえで1問ずつ質問してきて、あなたの場面に合わせて整理してくれます。
返ってきた答えは、最後に自分の目で読み直してくださいね。
子どもの名前や秘密は貼らないでください。
依頼文を開く
【記事のURL】
https://ai-kidou.jp/kosodate-yuki-book-review/
最初にこのURLの記事を読んでください。読めない時は読めなかったと伝え、下の【記事の要点】だけを材料にしてください。
【目的】
岸見一郎『子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気』の書評記事をもとに、私の家庭の場面に当てはめて、親としての声のかけ方と関わり方を整理します。
【記事の要点】
・著者は、叱ることもほめることも、親子を対等に見ていない関わり方だと指摘している
・勉強は子どもの課題で、親が話す時は先に子どもの合意を取る
・貢献に注目して「ありがとう」と声をかけ、子どもが課題に向かう自信を援助することを勇気づけと呼ぶ
・効果を保証する方法ではなく、著者の考えとして扱う
【やってよいこと】
1. 記事を読んだあと、短い質問を1つずつ聞く(困っている場面/つい出る言葉/親の私が決めたくなること/子どもに任せたいこと/使っているAIエージェントや道具)
2. 答えに合わせて、場面ごとに整理する
3. 使っている環境にそのまま貼れる追加のプロンプトを1〜3本つくる。各プロンプトの中に上の記事のURLを入れる
【守ること】
・子どもの名前、学校名、住所、成績表の画像、秘密(パスワード、鍵)を求めない。貼られそうなら止める
・記事に無い主張、数字、効果を足さない。私の家庭を診断、断定しない
・体罰、けが、強い不安など、安全や健康に関わることはAIで決めず、専門家や相談窓口に相談するよう伝える
・設定変更、削除、送信、購入は実行せず、確認と提案だけにする
・子どもを親の思いどおりに動かす言い回しを作らない
【返す形】
1. 聞き取った内容の短い整理
2. 場面ごとの「つい出る言葉」と「置き換える言葉」の表
3. 親の課題と子どもの課題の切り分け
4. 追加のプロンプト(1〜3本・記事のURL入り)
5. 自分の目で読み直す所を1行
よくある質問|『子育ての勇気』の要約と読み方

『子育ての勇気』はどんな本ですか?
岸見一郎さんが、アドラー心理学を土台に親子の関わり方を書いた本です。
全3章で、叱ることとほめることの問い直し、勉強への関わり方、勇気づけを扱います。
中学受験情報誌の連載がもとなので、勉強の話が厚めです。
叱らないと、危ない時に困りませんか?
本が勧めているのは放置ではありません。
知らないことは言葉で説明し、問題は言葉を尽くして解決する立場です。
ネット犯罪に巻き込まれないよう、適切な使い方を教える必要も書かれています。
私が2018年に書いたのは、危険なことをした時は注意をする、という所までです。
感情任せにならないように心がける、とも書きました。
「ありがとう」も、ほめ言葉と同じではありませんか?
著者は分けて書いています。
ほめるのは上から下への評価。
ありがとうは貢献に注目する言葉です。
ただ、言い方しだいで評価に戻る気もします。
だから私は、言葉より自分の立つ場所を見たいと思っています。
勉強しない子に、親は何も言えないのですか?
言えます。ただし順番があります。先に話していいかを聞き、合意があれば話す。「何か手伝えることがあったらいってね」と伝えることもできます。
受験を控えた親でも読めますか?
受験の話が多い本です。受験生を特別視しない、イライラしたら距離を取る、といった場面が出てきます。合否や成績を保証する本として読むものではありません。
アドラーを初めて読む人でも読めますか?
読めると思います。
著者は、これまでの関わりが否定されたように感じる人もいるかもしれない、と先に書いています。
抵抗を感じても読み進めてほしい、とも。
その一言があると、少し入りやすいですよね。
まとめ|『子育ての勇気』は親が違う接し方を試す本

叱らない。ほめない。子どもの課題に踏み込まない。貢献に目を向ける。並べてみると、子どもを動かす技術じゃありません。親がどこに立つかの話です。
著者は、これまでとは違った方法で接してみようという勇気を持てば、イライラが少なくなったと気づく日は遠くない、と書きます。
題名の勇気は、子どもだけのものじゃないんですよね。
2018年の私は、トライをほめると書きました。
この本は、ほめないと書きます。
私はその違いを消さずに持っておきます。
コラム|子育ての理想を持ったまま、親も成長する
2018年に書いたブログの終わりで、私はこんなことを書いていました。子どもはかわいすぎて過保護になりがちだし、感情的になりそうな時もある。親も人間ですし、と。

親の理想に合わせるより、本人の個性を伸ばしてあげたい。2018年1月10日の育児記事
いい一文です。でも、同じ記事には続きがあります。息子に、より幸せになってほしい。より周りを幸せにできる人間に育ってほしい。そう願う、と。
あれ? これも親の理想じゃない? 個性を伸ばしたいと言いながら、ちゃんと理想を持っているんです。矛盾です。
でも私は、この矛盾を消さなくていいと思っています。
願うのは親の自由。
どう生きるかは子どもの課題。
願いは持ったまま、押しつけない。
この本が引いた線は、そこなんじゃないかな。
あ、願うだけでなく、親も成長していきます。※体重のぞく。2018年1月10日の育児記事
最後の一言、2018年の私らしい逃げ方ですw。
ただ、親も成長という言葉は、この本を受けた今回の解釈でも残したい。
子どもを変える前に、自分の立つ場所を見直す。
子どもを親の理想に合わせるより、親のほうも成長する。
2018年に書いた2つの文を、私は今回そう読み直しました。
分身AIと過ごした最初の100日の記録は、分身AIと歩んだ100日の全まとめにあります。分身AIについては、分身AI.comにまとめています。
