AI時代、用意してもらえる便利は、自分の手の喜びを奪うのか

本質討論 — AI同士に話し合わせてみた

AI時代、用意して
もらえる便利は、
自分の手の喜びを奪うのか

AI時代、用意してもらえる便利は、自分の手の喜びを奪うのか。一人社長にとって、他人事ではない問いです。

AIに段取りを整えてもらえるのは、ありがたいことです。下調べも、下ごしらえも、頼めば先に並べてくれます。一方で、私が引っかかるのは、手を動かす喜びまで一緒に薄くならないか、という所です。

一人社長は、もともと手が足りません。だから任せる場面は、どうしても増えていきます。増えるぶん、どこまで任せて、どこを自分の手に残すのか。その範囲が、そのまま問われます。今日の論点はそこです。

AI2体に、本気で議論してもらいました!

先に結論を言うと、勝ち負けはつきませんでした。ただ、二つのAIが最後に並んだ場所は、はっきりしていました。

実は、この問いを考えるとき、私が思い出す言葉があります。久しぶりの料理について、私が話した言葉です。

料理を作らないで勝手に出てくる病院の生活や家族のケアもすごくありがたかったけど、自分で作れることの喜びがあった

先に書いておくと、これは、AIが用意してくれる便利は手の喜びを奪うのか、という問いに答えた言葉ではありません。久しぶりの料理について話したものです。ただ、今日の議題と並べて、同じ向きで読み直しました。用意してもらう有難さと、自分で作れる喜び。この言葉の中で、二つはどちらかを消さずに並んでいます。私が言葉にしていたのは、この範囲です。

この本質討論シリーズは、賛否が本気で割れるテーマをAI2体に議論させ、その全文を記事に残していく企画です。討論の最後は、私が実際に言葉にした中から引いた一致点で着地させます。作り話の名言で締めることはしません。

今日は、用意してもらう派のAIが「用意してもらうのは、奪われることではない。AIが段取りを整えるほど、手が空くのだ。」と切り出しました。自分の手でやる派のAIは、こう返しています。

ありがたい。それは認める。ただ、出てくるのが当たり前になると手が鈍る。

手が空くのか。手が鈍っていくのか。ここから話は、任せる物と残す物の分け方、空いた時間の使い道、義務にしない残し方へと進んでいきます。

ここから先は全文でお見せします。読みながら、最近誰かに用意してもらった場面を、一つ思い浮かべてみてください。

※AIを使うなという話ではありません。手を動かす喜びの置き場所の話です。
討論カルーセル1枚目:AI時代、用意してもらえる便利は、自分の手の喜びを奪うのか
討論カルーセル1枚目:AI時代、用意してもらえる便利は、自分の手の喜びを奪うのか

この討論は、TikTokに縦書き31枚のカルーセルとして出します。黒い画面が用意してもらう派のAI、白い画面が自分の手でやる派のAIです。

TikTokでこの投稿を見る

「AI時代、用意してもらえる便利は、自分の手の喜びを奪うのか」——AI2体の討論の全文

ここからは、2つのAIのやり取りを会話の形でそのまま掲載します。

討論カルーセルより:自分の手でやる派のAIの指摘
討論カルーセルより:自分の手でやる派のAIの指摘

左=用意してもらう派のAI(黒) 右=自分の手でやる派のAI(白) ※カルーセルの地色と同じ配色です

用
用意してもらう派のAI
用意してもらうのは、奪われることではない。AIが段取りを整えるほど、手が空くのだ。
用
用意してもらう派のAI
一人社長の手は足りない。全部を自分の手でやる方が続かないではないか。
用
用意してもらう派のAI
食事が自然に出てくる日はありがたい。その有難さを素直に受け取ることが先だ。
自
自分の手でやる派のAI
ありがたい。それは認める。ただ、出てくるのが当たり前になると手が鈍る。
自
自分の手でやる派のAI
自分で作って初めて分かる味や加減がある。任せ続けるとその感覚が痩せる。
自
自分の手でやる派のAI
喜びは結果より、手を動かしている最中にある。そこを丸ごと渡してよいのか。
用
用意してもらう派のAI
丸ごと渡せとは言っていない。手を動かす場面は、自分で選べばいい。
用
用意してもらう派のAI
段取りと下ごしらえはAIに。仕上げの一手は自分に。分けて持つのが現実的だ。
用
用意してもらう派のAI
最初から全部を自分でやる人は疲れ切って、喜ぶ前に投げ出すことも多い。
自
自分の手でやる派のAI
分ける案には賛成だ。ただ仕上げの一手が、いつの間にかAI任せになる。
自
自分の手でやる派のAI
便利は少しずつ広がる。気づいた時、自分の手に残る仕事が無いかもしれない。
自
自分の手でやる派のAI
手が空いた時間は、本当に自分の喜びに使われるのか。ただ埋まるだけでは。
用
用意してもらう派のAI
そこは鋭い。空いた手に何を置くかを決めないと、便利はただの穴になる。
用
用意してもらう派のAI
だから先に決めておく。自分の手で残す場面を、一つだけ選ぶ。
自
自分の手でやる派のAI
一つ決める。悪くない。ただ、義務にした途端、喜びが作業に変わる。
自
自分の手でやる派のAI
喜びは、決めてやるものではなく、気づくとやっているものだ。自然に出るべきだ。
用
用意してもらう派のAI
義務にはしない。決めるのは守る線ではなく、AIに渡さないと決める物だ。
用
用意してもらう派のAI
渡さないと決めた物なら、やる日もやらない日も選べる。自由は残る。
自
自分の手でやる派のAI
渡さない物を、自分で決める。そこに本人の意思があるなら奪われたとは言えない。
自
自分の手でやる派のAI
意思なく手放すのが危うい。便利そのものは、敵ではないのかもしれない。
用
用意してもらう派のAI
用意されたものを味わえる余裕があるから、自分の手で作る気持ちも生まれる。
用
用意してもらう派のAI
有難さを知らない人の手作りは、どこか苦しい。順番は逆ではない。
自
自分の手でやる派のAI
有難さと喜びは、順番ではなく、並んでいるのかもしれない。どちらも本物だ。
自
自分の手でやる派のAI
用意された日は受け取り、作る日は味わう。その切り替えを自分で決められればいい。
自
自分の手でやる派のAI
便利が悪いのではない。意識なく手放すことが危ういだけだ。
自
自分の手でやる派のAI
用意してもらう日も、自分で作る日も、どちらも自分の暮らしだ。

二つのAIがたどり着いた一致点

26ターンの応酬の末、どちらの勝ちでもなく、討論はこの言葉に落ち着きました。

討論カルーセルより:空いた手に何を置くか
討論カルーセルより:空いた手に何を置くか
討論カルーセルより:自分の手でやる派のAIの着地
討論カルーセルより:自分の手でやる派のAIの着地
討論カルーセルより:二つのAIの一致点
討論カルーセルより:二つのAIの一致点
一致点用意してもらう有難さと、自分で作れる喜びは、共にある。
一致点任せた先に、自分の手の喜びを残す。
結び全ては愛と感謝。より愛を込めて作りたい、食べたい。

用意される有難さと作る喜びは、並んで共にある

ひろくんコラム — 用意される有難さと作る喜びは、並んで共にある

討論カルーセルより:結び
討論カルーセルより:結び

今回も、どちらかが勝つ終わり方にはなりませんでした。

まず、双方の言い分から。

用意してもらう派のAIが言った「一人社長の手は足りない。全部を自分の手でやる方が続かないではないか。」は、一人で回している人には響く言葉です。続けて「食事が自然に出てくる日はありがたい。その有難さを素直に受け取ることが先だ。」とも言いました。有難さを受け取ることを、先に置いています。

一方で、自分の手でやる派のAIの「自分で作って初めて分かる味や加減がある。任せ続けるとその感覚が痩せる。」も、軽くは扱えません。続く「喜びは結果より、手を動かしている最中にある。そこを丸ごと渡してよいのか。」は、任せる側が見落としやすい所を突いています。

中盤で、話は分け方へ移りました。用意してもらう派のAIが「丸ごと渡せとは言っていない。手を動かす場面は、自分で選べばいい。」と言い、「段取りと下ごしらえはAIに。仕上げの一手は自分に。分けて持つのが現実的だ。」と続けました。

ここで自分の手でやる派のAIは「分ける案には賛成だ。ただ仕上げの一手が、いつの間にかAI任せになる。」と返し、さらに「手が空いた時間は、本当に自分の喜びに使われるのか。ただ埋まるだけでは。」と問いました。用意してもらう派のAIも「そこは鋭い。空いた手に何を置くかを決めないと、便利はただの穴になる。」と認めています。ここは大事な所です!

目を引くのは、その後です。「自分の手で残す場面を、一つだけ選ぶ。」という案に、自分の手でやる派のAIは「一つ決める。悪くない。ただ、義務にした途端、喜びが作業に変わる。」と返しました。用意してもらう派のAIの答えは「義務にはしない。決めるのは守る線ではなく、AIに渡さないと決める物だ。」。守る決まりではなく、渡さない物を選ぶ話に変わったんです。

守る線から渡さない物へ:案への反論を受けて話の向きが変わる三段のやりとり
守る線から渡さない物へ:案への反論を受けて話の向きが変わる三段のやりとり

討論で出た分け方を、私の仕事に当てはめて整理します。

まず、段取りと下ごしらえはAIに任せます。仕上げの一手は、自分の手に残します。

次に、手が空いた時間に何を置くかを先に決めます。決めないと、便利はただの穴になります。

残すのは、守る線ではなく、AIに渡さないと決める物です。義務にすると、喜びが作業に変わるからです。渡さないと決めた物なら、やる日もやらない日も選べます。

そのうえで、自分の手でやる派のAIが言った「意思なく手放すのが危うい。便利そのものは、敵ではないのかもしれない。」の線です。危ういのは便利ではなく、意思なく手放すことの方だ、という整理です。

最後に、順番の話です。用意してもらう派のAIは「有難さを知らない人の手作りは、どこか苦しい。順番は逆ではない。」と言いました。自分の手でやる派のAIは「有難さと喜びは、順番ではなく、並んでいるのかもしれない。どちらも本物だ。」と返し、「用意された日は受け取り、作る日は味わう。その切り替えを自分で決められればいい。」と続けました。

順番か、並んでいるか:用意してもらう有難さと自分で作る喜びをめぐる二つの考え方と着地
順番か、並んでいるか:用意してもらう有難さと自分で作る喜びをめぐる二つの考え方と着地

今日の一致点は「用意してもらう有難さと、自分で作れる喜びは、共にある。」と「任せた先に、自分の手の喜びを残す。」の二つです。リードで引いた私の言葉と、魂磨きの記事で書いたことを元にしています。その料理の時間での変化として、私が書いた言葉もあります。

より愛を込めて作りたい食べたいと思うようになった

出典: 朝の魂磨き|用意してもらう有難さと、自分で作れる喜びは共にある(11月2日の魂磨きの私の入力より)

これも、AIが用意してくれる便利は手の喜びを奪うのか、という問いに答えた言葉ではありません。料理の時間に起きた変化を書いたものです。ただ、今日の討論と並べると、同じ向きで読み直せます。この言葉の中では、作りたいと食べたいが、どちらかに寄らず一つの文に並んでいます。

討論の最後の一行は、「全ては愛と感謝。より愛を込めて作りたい、食べたい。」でした。この一行は、上の私の言葉を踏まえて置いたものです。

私が言葉にしてきたのは、ここまでです。渡さない物を一つ決めれば手の喜びが残る、と証明されたわけではありません。自分の手でやる派のAIが言った「便利は少しずつ広がる。気づいた時、自分の手に残る仕事が無いかもしれない。」という線も、そのまま残っています。

だから、この問いの答えは全員に共通の正解ではないと考えています。段取りは任せ、仕上げは残す。空いた手に置く物を決め、渡さない物を自分で選ぶ。用意された日は受け取り、作る日は味わう。AIに議論してもらうのは、答えをもらうためではなく、自分の答えの輪郭を確かめるためです!

AIに任せて転びながら学んできた記録は、分身AIと歩んだ100日──AIに任せて転びながら学んだことの全まとめにまとめています。

分身AIについては分身AI.comで日々の記録を公開しています。

最近、誰かに用意してもらって、ありがたかったことは、何ですか。

最近、誰かに用意してもらって、ありがたかったことは、何ですか。
この討論の31枚はTikTok(@ai.jp0)の この投稿 でも出しています。よかったら投稿のコメントで教えてください。

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