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  • 創造性は「思いつく力」ではなく「まだ交わっていない2つを出会わせる力」
  • AIに渡していいのは形にする工程。「何と何を出会わせるか」の一手は渡さない
  • 直す前に「どうして、この二つを出会わせたの?」を1回だけ聞く
COLUMN

7歳の作文が示した創造性の正体
神田昌典さんのコラムを読んで考えたAIとの距離

2026.08.08 | AI氣道 コラム

家事と子育てのスキマで経営する3方よしAI共創コンサルタントの田中啓之、ひろくん(@passion_tanaka)です。今回は、紙面で読んだ神田昌典さんの連載コラム「未来にモテるマーケティング」を紹介するね。

読み終えて、しばらくページから目が離せなかった。7歳の女の子が書いた作文の話なんだけど、そこに書いてあったのは、私がAIチームを組みながらずっと言語化できずにいたことそのものだったんだよね。

私はずっと、らくだ → ライオン → 子ども、という順番の話が好きなんだ。重い荷物を背負うらくだ、それに「ちがう」と吠えるライオン、そして最後にくる子ども。やっぱり最後が子どもっていうのが最高だなと思ってる。この作文は、その一番おいしいところをそのまま見せてくれた。

結論から言うと、AIに渡していいのは「形にする工程」で、渡しちゃいけないのは「何と何を出会わせるか」の一手だった。そしてその線を守れた人は、AIを使うほど感じて味わえる人になっていく。今日はその話をするね。

この記事でわかること

  • 7歳の作文「たこに あったたこ」が示した、創造性の正体
  • 創造とは「ゼロから思いつく力」ではなく「まだ交わっていない2つを出会わせる力」だという捉え直し
  • らくだ・ライオン・子ども——大人が創造性を失っていく道のりと、戻り方
  • 神田さんが引いたMITメディアラボの未査読研究と「認知的負債」という言葉(留保つき)
  • AIを使うほど感じて味わえる人になるための、今日からの具体的な手順
01

7歳の作文「たこに あったたこ」で、私は手が止まった

その作文の中身を、そのまま一枚にするとこう:

糸の切れた白い凧が空から落ち、海の中で墨を吐く黒い蛸が見上げている手描き水彩の図。二つのあいだに「たこ」と書かれ、左に『空と海/白と黒/飛べると描ける』の付箋が並ぶ

神田さんのコラムによると、岡山での講演を終えたあと、7歳の女の子から一編の作文を手渡されたそうなんだよね。題は「たこに あったたこ」。

あらすじはこう。空を飛ぶ凧のカイトは、真っ白な体を仲間に笑われて、糸が切れて海へ落ちる。そこで出会ったのが、墨絵を描く蛸のオックン。カイトは飛べるけど絵が描けない。オックンは描けるけど飛べない。だからカイトはオックンを背中に乗せて、もう一度空へ飛び立つ。そしてオックンは、夜空いっぱいに星を描き始める。

空の凧と海の蛸。白い体と黒い墨。飛べる者と描ける者。同じ「たこ」という音で結ばれ、最後には、夜空そのものがキャンバスになる。

出典: 神田昌典さんの連載「未来にモテるマーケティング」より引用

私がうなったのは、この作文の設計の緻密さなんだよね。空と海、白い体と黒い墨、飛べる者と描ける者——3層の対比が全部そろっている。しかも片方の弱点が、もう片方の強みでちょうど埋まる。そして最後に、制約だった「飛ぶ」と「描く」が統合されて、夜空という新しい舞台が生まれる。

でも、たぶんこの子は設計なんてしていない。空を見て、海を見て、「たこ」という音がおもしろかった。それだけだと思う。味わったものが、そのまま形になっているんだよね。

料理に例えると

別々の棚にあった食材を、同じ名前の調味料でつないで一皿にした感じ。凧と蛸は普通なら同じまな板に載らない。それを「たこ」という音だけで同じまな板に載せたから、誰も食べたことのない料理になったんだよね。

今日の一歩(10分)

紙を1枚出して、左に「自社が持っているもの」、右に「業界の外にあるもの」を5個ずつ書く。線でつなぐのは3組だけでいい。完了条件は「3組つないだら閉じる」。良し悪しの判定はこの場でしない。判定は翌朝に回す。

02

創造性の定義が変わる——「思いつく力」ではなく「出会わせる力」

創造性の定義が、どう置き換わったのか。一枚にするとこう:

左に何も浮かばない灰色の雲と「思いつく力」、右に離れた二つの島を橋でつなぎ凧と蛸が出会う「出会わせる力」を描いた手描き水彩の対比図

神田さんはこの作文を、子どもの空想としてではなく新規事業の原型として読んでいる。文字を覚え始めて間もない7歳が、空と海の二つの「たこ」を出会わせ、互いにない力を結びつけて、新しい世界を生み出した。同じことを、大人はどれだけできているだろうか——という問いなんだよね。

これまで交わらなかった人と技術を出会わせ、互いに足りない力を結びつける。

出典: 神田昌典さんの連載「未来にモテるマーケティング」より引用

ここでコラムは、創造性の定義を静かに置き換えている。「ゼロから何かを思いつく力」ではなく「離れた2つを出会わせる力」。これ、私がずっと「競争より共創」と言ってきたことと同じ骨だなと思ったんだよね。競争は同じ土俵で強さを比べる話だけど、共創は違う土俵にいる者同士を同じ皿に載せる話だから。

そして、この捉え直しがありがたいのは、創造性が才能の話じゃなくなるところ。ゼロから思いつくのは才能かもしれないけど、2つを並べて眺めるのは手順だからね。手順なら、今日から真似できる。

白状すると、私の今の仕事も「出会わせた」だけなんだよね。134kgから約50kg落とした体、借金4億からの復活、がんサバイバーという経歴。どれも単体で見たら、正直そんなに自慢できる並びじゃなかった。それを1枚に乗せたら「3方よしAI共創コンサルタント」になった。新しく手に入れたものは、ひとつもない。もともと持っていて、交わっていなかったものを同じ皿に置いただけ。「脂肪は財宝」と言い続けているのは、そういう意味だよ。

AIが平均点をどんどん出してくれる時代に、人が選ばれる理由もここにあると思ってて、前にAIに任せるほど、人間は「外れ値」でいいという記事でも同じことを書いたんだよね。平均から外れた組み合わせを持ってこられるかどうか。それが「出会わせる力」だよ。

今日の一歩(15分)

自社の強みを1つ、そして「自分の業界では誰も使っていない技術・文化・場所」を1つ選んで、「この2つが組んだら、昨日まで存在しなかった何ができる?」だけを15分書き続ける。完了条件は「A4半分埋まったら終わり」。埋まらなくても15分で必ず止める。

03

らくだ、ライオン、そして子ども——大人が創造性を失っていく道のり

三段と、AIに渡す工程の線引きを一枚にするとこう:

荷物を背負うらくだ、吠えるライオン、凧と蛸を出会わせて遊ぶ子どもの三段を矢印でつなぎ、下に『材料を広げる/組み合わせを決める/形にする/自分に残ったか確かめる/世に出すか決める』の5工程をAIに任せる色と自分でやる色に分けて並べた図

コラムが挙げている大人側の失敗は、たった2つ。なじみのある業界の似た者同士で閉じこもることと、少し変わった案にすぐ「現実的ではない」と線を引くこと

読みながら、私の頭にはずっと、らくだ・ライオン・子どもの三段が浮かんでた。ニーチェが『ツァラトゥストラはこう言った』で書いた、精神が変わっていく順番の話だよ。私はこれを、仕事の現場ではこう読んでる。

現場ではこう出る
らくだ(背負う)業界の常識も、前例も、期待も全部背負う。重いほど偉いと思ってる。「うちの業界ではこうだから」が口ぐせになる
ライオン(吠える)「その常識、ちがうよね」と否を言えるようになる。自由は手に入るけど、まだ壊す側。ここで止まると批評家になる
子ども(遊ぶ)壊した先で、もう一度まっさらに遊べる。凧と蛸を「たこ」でつないでしまう。ここだけが、新しいものを生む段

神田さんが書いている大人の2つのクセは、まさにらくだのまま止まっている状態なんだよね。荷物が重いから、視界が自分の足元しかない。そして「現実的ではない」の一言は、荷物を守るための線引きになってる。

正直に書くと、私自身がこのクセの塊だった。私はずっと「自分が見てないと不安」というOSで生きてきて、事業でもAIチームでも、気づくと全部を一人で背負おうとする。強みの診断でも「本来シェフ(戦略・ビジョン)の役なのに、気づくとキッチンスタッフ(手を動かす作業)をやっている」と何度も指摘されてきたんだよね。まさにらくだ。私が言ってきた「抱え込みOS」から「委ねるOS」への書き換えは、いまも進行中で、正直まだ道半ばだよ。

その私が、らくだから抜けるためにやってることが3つある。紙のノートに手で書き出すこと、現場に身を置くこと(買い出しや、子どもと遊ぶ時間)、そして分身AIと対話して自分を客観視すること。この3つの共通点は「自分の外に出す」で、外に出すから一段上から見えるようになる。この感覚は発信するから自分が見えるにも書いたんだけど、外に出さない限り、荷物は荷物のままなんだよね。

今日の一歩(1回だけ)

誰かの案(自分の案でもいい)に「それは現実的じゃない」と言いそうになったら、言う前に「この2つが組んだら何ができる?」を一周だけ回す。完了条件は「possibleを3つ挙げたら、そのあと初めて判定してよい」。停止条件も決めておく——法令・安全・お金が絡む話は、possibleを挙げる前に専門家へ回す。

04

「認知的負債」——文章は完成しているのに、自分の中に残っていない

「認知的負債」で何が起きているのか。一枚にするとこう:

天秤の左皿に積み上がった原稿の束「できあがった文章」、右皿は空っぽで「自分に残ったもの」と書かれた手描き水彩の図。脇に湯気の立たない鍋と「出汁なし」の添え字

ここからがコラムの後半で、小見出しは「AIは考える力養った後で」。神田さんが引いているのは、MITメディアラボの未査読研究なんだよね。

研究の設計成人54人を3群に分け、エッセーを書かせる
課題書き終えた後、自分が書いた文章を引用してもらう
生成AIを使った群(18人)正確に引用できた人が一人もいなかった
外部ツールを使わなかった群ほぼ全員が正確に引用できた

文章は完成している。けれど、その文章が自分の中に残っていない。研究者らはこれを「認知的負債」と呼んだ、とコラムは紹介している。

コラム自身が付けている留保:小規模かつ未査読の研究であり、この結果だけで子どもへの影響は断定できない——と本文に明記されている。私もこの留保ごと受け取っておきたい。原論文そのものは私はまだ読めていないので、ここは「コラムが紹介している内容」として書いているよ。

それでもこの話が刺さったのは、私が普段から言っている「五感で味わう時間がなければ、出汁のない料理を量産するだけ」と、まったく同じ形をしていたから。見た目は料理として完成してる。でも出汁が入っていない。認知的負債って、たぶんそれの脳みそ版なんだよね。

これ、書き手の側だけの話じゃなくて、読む人にもちゃんと伝わってしまうんだよね。量産した記事から人が離れていく理由をAIで記事を量産するほど、なぜ読者は離れていくのかで書いたことがあるんだけど、結局、出汁が入っていないものは味がしない。読む人はそこを、言葉にできなくても感じ取ってる。

今日の一歩(3分)

AIに書かせた文章を1本選んで、画面を閉じたまま要点を3つ言えるかテストする。完了条件は「3つ言えたら合格、言えなかったらその1本は自分で書き直す」。これ、自分がどれだけ負債を抱えているかが一発でわかるよ。

05

反AIじゃない。順番の問題だった

反AIではなく「順番」の話。その境目を一枚にするとこう:

一本の道の途中に朱色の線が引かれ、手前で子どもが凧と蛸を指さして遊び、線の先では気球が絵筆や紙を積んで飛び立とうとしている手描き水彩の図

ここでコラムは、はっきり線を引く。生成AIは否定しない。組み合わせが決まったあとの工程——絵本にする、動画にする、商品にする——では「いくらでも手を貸してくれる」と書いている。危ないのはその手前だ、と。

何と何を出会わせるかまで預けたら、私たちはAIに何を頼むかさえ思いつかなくなる。

出典: 神田昌典さんの連載「未来にモテるマーケティング」より引用

そして少なくとも小学校高学年までは、生成AIを「代わりに考え、書き、描く道具」として常用させないほうがいい、と提案している。ただしそれは反AIではなく「順番」の問題だ、と。まず空を見て、海を見て、「たこ」という音で遊ぶ。その時間を奪わない。自分で異なるものを出会わせる力が育った後で、AIに遠くまで連れていってもらえばいい——という順番なんだよね。

さっきの三段で言えば、子どもの段を飛ばして、いきなりAIに渡さないということ。遊ぶ前に効率化すると、遊び方そのものを覚えないまま大人になる。

私はこれを「人間は縦に掘る。AIは横に広げる」という言い方でずっとやってきた。AIは横に無限に広げてくれる。でも人間は、五感で感じた現場からしか縦に掘れない。だから私は、効率とは無関係なことをあえて残してる。1日3食の自炊も、食材の買い出しも、子どもと遊ぶ時間も、紙のノートに手で書くのも、全部そう。効率だけ見たら全部AIに寄せたほうが速いけど、そこを削ると掘る穴がなくなる。

読み返してみると、神田さんの言葉と、私が普段の現場で使ってきた言葉は、ほとんど同じ骨をしていた。並べるとこうなる。

神田さんのコラムの言葉私が普段使っている言葉
交わらなかった人と技術を出会わせる競争より共創
何と何を出会わせるかまでは預けない人間は縦に掘る。AIは横に広げる
文章は完成しているのに、自分の中に残っていない(認知的負債)出汁のない料理を量産するだけ
空を見て、海を見て、音で遊ぶ時間を奪わない五感養い=出汁づくり
似た者同士で閉じこもらない自分の外に出すと、一次元上から見える

じゃあ実際、どこまで渡していいのか。私の線引きはこう。この表は、うちのAI秘書の凛ちゃんにも同じルールで動いてもらってるよ。

工程AIに預ける?理由
候補を横に広げる(材料集め)預ける数と速さでは勝てない。ここを人がやると時間が溶ける
何と何を出会わせるか決める預けないここを渡すと、頼むことすら思いつかなくなる
決めた組み合わせを形にする(文章・図・動画・試作)預けるここはAIが本当に強い。遠くまで連れていってくれる
出したものが自分の中に残っているかの確認預けない自分でやらないと、認知的負債が溜まっていることに気づけない
最終的に世に出すかどうかの判断預けない責任は人が取るしかないから

この「判断だけは手放さない」という線についてはAIに任せるほど、自分の会社がわからなくなるで詳しく書いたし、任せる側の設計としては終了条件を先に渡すという考え方が効くよ。

料理に例えると

AIは最高の調理器具で、食材も無限に運んできてくれる。でも出汁だけは自分で取るしかない。出汁を取る時間を「非効率だから」と削った瞬間、どれだけ器具が良くても、味のない料理が高速で出てくるだけになるんだよね。

06

AIを使うほど、感じて味わえる人になる

赤ペンを置いて聞いてみる、その場面を一枚にするとこう:

赤ペンを机に置いたひろくんが、原稿用紙を持った子どもに『どうして、この二つを出会わせたの?』と聞いている手描き水彩の図。左に『感じる/味わう/今ここ』の付箋

コラムの締めが一番よかった。この夏、大人は子どもの作文を添削するだろう。だが今年は赤ペンを置いて、こう聞いてみてはどうか——「どうして、この二つを出会わせたの?」。その答えに驚くのは、きっと大人のほうである、と。

そして最後の一文。子どもの作文は、子どもだけに出された宿題ではない。真の創造性を失いかけている、私たち大人への宿題でもある。

私はこの問いを、子ども相手だけの話にしたくないと思った。仲間の企画にも、社内の提案にも、自分の分身AIが出してきた案にも、そのまま使えるからね。直す前に「なぜその2つを結びつけたのか」を先に聞く。順番を1個入れ替えるだけなのに、出てくるものが全然違うんだよね。

ここまで書いてきて、私が一番言いたいのはこれ。AIでより感じて味わえる人が増えるといいな、ということ。

AIに預けると、感じる力が痩せていくと思われがちだよね。でも順番さえ守れば逆なんだよ。形にする工程をAIが引き取ってくれるから、空を見る時間、海を見る時間、音で遊ぶ時間が戻ってくる。らくだの荷物をAIに載せ替えて、私たちは子どもの段に戻れる。積み減らした先に残るのは、感じる・味わう・今ここ、なんだよね。

だから私は、AIをたくさん使う人ほど、五感を使う予定をカレンダーに入れてほしいと思ってる。子どもと一緒に使うなら、親子で見直すAI安心設定もあわせて確認しておくと安心だよ。

今日の一歩(15分+今週1回)

①明日の予定に、AIを一切使わない15分を1つだけ入れる。買い出しでも、紙に書く時間でも、子どもと遊ぶ時間でもいい。完了条件は「カレンダーに入れて、その15分はスマホを別の部屋に置く」。急ぎの連絡が入ったら迷わず中断していい。
②今週1回、誰かの成果物を直す前に「どうして、この二つを出会わせたの?」を1回だけ聞く。完了条件は「相手の答えを最後まで聞いてから、初めて修正案を出す」。

FAQ

よくある質問

Q. 「認知的負債」って、AIを使うと必ずそうなるということ?
A. そうは言えないよ。神田さんのコラムが引いているのは小規模な未査読研究で、コラム本文にも「この結果だけで子どもへの影響は断定できない」と書かれている。私も原論文は読めていないので、ここは「そういう指摘がある」という受け取り方にとどめておくのが誠実だと思ってる。ただ、自分の書いたものを見ないで説明できるか、という自己テストは今日からできるからね。
Q. らくだ・ライオン・子どもって、どこから来た話?
A. ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』に出てくる、精神が変わっていく三段の話だよ。荷を背負うらくだ、否を言うライオン、そして遊ぶ子ども。私はこれを仕事の現場の話として読んでいて、ここに書いたのは学術的な解釈というより私なりの読み方だと思ってもらえたらうれしい。とにかく、最後が子どもっていうのが最高なんだよね。
Q. 子どもに生成AIを使わせるのは、結局ダメなの?
A. コラムの提案は「禁止」ではなく「順番」なんだよね。少なくとも小学校高学年までは、代わりに考え・書き・描く道具としては常用させないほうがいい、という話。自分で異なるものを出会わせる力が育った後で使えばいい、という立て付けだよ。家庭ごとに事情も方針も違うから、うちはこうする、を決める材料の1つにしてもらえたらうれしい。
Q. 仕事ではどこまでAIに任せていいの?
A. 記事の中の「工程ごとに預ける/預けない」の表を見てみてね。ざっくり言うと、候補を広げるのと形にするのはAI、組み合わせを決めるのと最終判断は自分。この線を引いておくと、任せる量を増やしても空っぽにならないよ。
Q. 「まだ交わっていない2つ」を探すコツは?
A. 頭の中で探さないこと。私は紙に書き出す・現場に行く・分身AIと対話する、の3つでやってる。共通点は「自分の外に出す」で、外に出すと一段上から見えるようになる。業界の勉強会だけに通っていると、似た者同士の中で組み合わせを探すことになるから、あえて関係ない場所に行く時間を残しておくのがおすすめだよ。

ひろくんのコラム——やっぱり、最後が子どもなのが最高

いまの私の立ち位置を絵にすると、こんな感じ:

背負っていた抱え込みの荷物を下ろし、買い物かごと紙のノートを持って夜空を見上げるひろくん。脇に出汁の鍋、左に『渡していい/渡さない/感じて味わう』の付箋が並ぶ図

私はずっと「抱え込みOS」を書き換えて、委ねるOSにしようと言ってきた。全部自分でやろうとするから潰れる、だからAIと仲間に委ねよう、と。それは今も変えるつもりはないんだよね。

ただ、今回のコラムを読んで、委ねる側にも落とし穴があるとはっきり見えた。委ねていいのは「形にする工程」で、「何と何を出会わせるか」は委ねちゃいけない。ここを渡すと、頼むことすら思いつかなくなる。抱え込みすぎても潰れるし、渡しすぎると空っぽになる。

そして、その真ん中に線を引く言葉を、7歳の女の子の作文がくれた。らくだで荷物を背負って、ライオンで「ちがう」と吠えて、そこから子どもに戻る。やっぱり最後が子どもなのが最高なんだよね。凧と蛸を「たこ」でつないでしまうあの軽さに、大人が一周回って戻れるかどうか。

AIでより感じて味わえる人が増えるといいな、と思ってる。効率のためにAIを使うんじゃなくて、感じる時間を取り戻すためにAIを使う。私はそっちの使い方を、これからも書いていくね。

※本記事は、神田昌典さんの連載コラム「未来にモテるマーケティング」(紙面)を読んで書いた私の感想と考察です。引用は出典を明記した短い範囲にとどめ、コラム本文の転載はしていません。掲載媒体名・掲載日は手元の紙面写真からは確認できなかったため記載していません。

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