AIに判断まで委ねるには、魂を込めて教える時間がいる。その時間は私の学びにもなりました

10月25日、家族で本屋に行き、買い物を楽しみました。その夜の振り返りに、私はこう書いています。
本屋さんで買い物家族で楽しく。いろんなアイデア気づきがあってワクワクウズウズした
世界は利他
翌日の魂磨きでは、この「世界は利他」が最初の話題になりました。魂磨きは、AIが投げてくる問いに、私が一つずつ本音で答えていく時間です。分身AIが先に私の考えを仮説として出し、合っていればそのまま選び、違えば自分の言葉で伝えます。
話は進むうちに、本屋の外へ広がりました。AIに任せ切りたい気持ちと、AIのお守りばかりしている今の話です。丸投げに惹かれる私と、お守りしながら育てるのもワクワクだと思う私が、同じ日の魂磨きに並びました。
この記事の中心は、次の一点です。丸投げに憧れる気持ちと、お守りしながら育てる楽しさは、同じ私の中に並んでいます。
この記事のポイント
- 丸投げに憧れる気持ちと、お守りしながら育てる楽しさは、どちらも本当で、同じ私の中に並んでいます。
- 判断まで委ねるには、AIが自分らしく判断できるよう、魂を込めて教える時間が要ります。
- その時間は、AIを育てるだけでなく、教える私が自分の判断に気づいて学ぶ時間にもなります。

目次
本屋の時間に私が見ていたのは、安く早く届く知恵でした

本屋の時間で、私が良さとして見ていたのは、本が安く早く知恵を届けてくれることです。10月25日、家族で本屋に行き、買い物を楽しみました。夜の振り返りには、アイデアや気づきがあってワクワクウズウズしたことと、「世界は利他」の一言を書いています。
翌日の魂磨きで、本屋の時間を「世界は利他」と捉えたとき何が見えていたかを聞かれ、私はこう返しました。
本を通じて安く早く知識や知恵を提供してくれる
本は愛の結晶:受け取った愛が、私の愛と混ざり合う

本を書いた人に向けているのは、感謝です。本は、愛の結晶だと捉えています。書き手への思いは、こう返しました。
感謝。本は愛の結晶。
愛の結晶を受け取ったとき、自分の中にアイデアがどう湧いていたかも話しています。受け取って終わりにならず、そこに自分の愛が混ざります。
自分の愛と混ざり合いアイデアがわき出る
混ざり合った自分の愛が、どんな思いだったのかも、短く言葉にしました。凸凹ありのままでいい、という前からの軸が、そのまま出てきています。
ワクワク夢中に凸凹ありのまま
丸投げに惹かれても、いまの私は「お守りばっかで」

丸投げという言葉に、私は惹かれました。といっても、いまの私はAIに任せ切れてはいません。本屋で惹かれた本として、10月26日の魂磨きで私が挙げたのは、こちらです。
AIで丸投げできる仕事術
ところが、AIは私がすでにAIへ委ねている前提で話を進めていました。現実は違ったので、私は短くこう伝えました。
委ねてないじゃん
お守りばっかで
これが、この日の一つ目の訂正です。一行目でAIの前提を直し、二行目でいまの様子を伝えています。
お守りとは、任せたつもりでも手が離れず、確かめ続けること。私の「お守りばっかで」は、その状態の話です。
任せたつもりでも手が離れない仕事は、ありますか? あるとすれば、それが私の言うお守りに近いのかもしれません。
お守りしながら育てるのも、私にはワクワクです

お守りは、見ていなければならないだけの時間ではありません。私には、お守りしながら育てる時間にも、ワクワクがあります。AIの案は、お守りを、見ていなければならない時間とだけ捉えていました。
私はその前提を直しました。返したのは、こちらです。
お守りしながら育てるのもワクワク。
これが、この日の二つ目の訂正です。
話はそのまま、最近のやり取りへ移ります。お守りしながら育てるのもワクワクした場面として、私が挙げたのはこちらです。
今、AIで自走化するのを作ってること
夢中になっているのは、私がいなくても仕事をしてくれる自律AIです。自走化は、いま作っている途中です。途中で手をかけながら、いまの私はワクワクしています! 自律AIの先には委ねたい気持ちがあり、そこへ向かう途中にお守りの時間があります。
苦手や嫌いを委ねるその過程も、私にはワクワク夢中に楽しい時間です

完成した自律AIの姿に加えて、そこへ向かう過程にも楽しさがあります。自分の手で仕事を仕上げる楽しさとの違いを、私はこう話しました。
苦手や嫌いを委ねてワクワク夢中になれる。その過程もワクワク夢中に楽しい
この答えには、楽しさが二段あります。一段目は、苦手や嫌いなことを委ねたあとに、ワクワク夢中になれること。二段目は、委ねていく過程そのものが、ワクワク夢中に楽しいことです。
いま作っている自走化は、この二段目の途中にあります。出来上がった結果と並んで、育てる循環そのものを楽しむ、という前からの考え方が、ここにもつながっています。
AIに任せたい苦手や嫌いなことは何で、その手放していく過程を、いまどう感じていますか?
手をかけているのは、AIの判断を見るハーネスの部分

いま実際に手をかけているのは、分身AIが出した判断を見る部分です。自律AIを育てるために手をかけているやり取りを一つ挙げると、私が話したのはこちらです。
分身 AI が判断したことに対する。フィードバックはもちろんのこと。AI がどう判断してどう認識しているか?などハーネスの部分
ハーネスとは、AIの動きを周りで支える仕組みのことです。判断へのフィードバックに加えて、AIが何をどう認識して判断に至ったかまで見る。そこに手をかけているんですよね。
出力だけを見ることとの違いは、こう返しています。
AI に魂を込めて AI が自分らしく判断できるようにしていく
魂は渡すものではなく、込めるもの。この考え方は、前から私の中にあります。AIが自分らしく判断できることと、私と同じ答えを返すことの違いについては、こう話しています。
自分らしく判断ができれば自分の代わりに判断する仕事も委ねることができる
魂を込めて教えるこの作業は、教える私自身にも返ってきます。
教えるとき、私もAIと一緒に学んでいます

判断を教えることは、AIを育てることであり、私が学ぶことにもなっています。判断する仕事も委ねるようになり、AIが私には思いつかなかった判断をしたら、どう受けとめるか。そう聞かれて、私が伝えたのはこちらです。
今やってる?魂磨きのように判断を誤っていたことを教えることで、分身の AI が育つ、また同時に自分がそういう判断をするんだということを教えることで学ぶ気づく
10月26日の魂磨きそのものが、その実例でした。AIは、私がすでにAIへ委ねているという前提を置き、お守りを見ていなければならない時間とだけ捉える案も出しました。私は、その二つをこの日の魂磨きで直しています。
魂磨きの最後に、自分がそういう判断をするんだと気づいたのはどんな判断だったか、と聞かれました。その問いには、まだ答えていません。気づいた判断が何だったのかは、言葉にしていません。
教えることで学ぶという考え方は、前から私が大事にしてきたものです。AIの判断を直すとき、その直し方に自分の判断が見えることはありますか? 見えるなら、それは直した側の学びにもなっているのかもしれません。
ひろくんコラム:魂は込めて、ボールは渡す。過去の二つの記事を読み返して

今回の話には、重なる過去の記事が二つあります。8月30日に公開した記事と、9月14日に公開した記事です。
並べて読み返すと、10月26日の魂磨きが、私の中でどんな線の上にあったのかが見えてきます。まず、8月30日の記事の一節です。
私の記事より(「魂は渡さないだろ、込めるものだろ」・第1節)委ねる前に磨くのは魂で、委ねた後に量産されるのはボール。二つを混ぜて「魂ごと手放した」と錯覚しないこと。
この記事では、ボールを、実行して量産する仕事として書きました。魂は、目的や守りたいもの、判断軸のことです。この分け方で10月26日の話を見直すと、私が分身AIに込めようとしているのは魂の側です。魂は込めるもので、渡しません。
8月30日の記事の題は、「魂は渡さないだろ、込めるものだろ」でした。10月26日の私の返事にも、「魂を込めて」という言葉が出てきます。日付は離れていても、込めるのは魂です。
続けて、9月14日に公開した記事の一節です。題は「当たり前の日常に感謝する|分身AIを育てると自分も育つ」でした。
私の記事より(当たり前の日常に感謝する|分身AIを育てると自分も育つ・第3節)AIへ答えを渡すためには、体験した自分が何をどう捉えたのかを言葉にする必要があるからです。AIの前提を訂正するたびに、自分でもまだ知らなかった判断軸が見える。毎日の対話は、AIへの学習と自分への理解を同時に進めます。
10月26日の魂磨きも、その流れの中にありました。AIが置いた二つの前提を私が直す中で、委ねたい気持ちと、お守りしながら育てる楽しさが、どちらも私の言葉として出てきています。
8月30日の記事は、魂は込めてボールは渡す、という区別を置きました。9月14日の記事は、分身AIを育てることと自分が育つことを、同じ題に並べました。10月26日の魂磨きは、その二つが重なった場面でした。
まとめ
丸投げに憧れる気持ちと、お守りしながら育てる楽しさは、同じ私の中に並んでいます。判断まで委ねるには、AIが自分らしく判断できるよう魂を込めて教える時間が必要です。その時間は、教える私にとっても、学び、気づく時間になります。
本屋で惹かれた「丸投げできる仕事術」という言葉の一方で、いまの私は「委ねてないじゃん」「お守りばっかで」と感じていて、どちらも本当です。お守りは育てる時間でもあり、いま作っている自走化の途中にも、そのワクワクがあります! AIがどう判断し、どう認識しているかを見て魂を込めることが、判断する仕事を委ねる道であり、教える私が自分の判断に気づいて学ぶ時間にもなっています。
AIに手をかけているいまの時間を、一つの問いで見てみてください。出力を確かめるところで止まらず、AIがどう判断したかまで見ているでしょうか?
FAQ
「丸投げ」と「お守り」は、何が違いますか?
丸投げは、確かめ続ける役目から手を離して、AIに任せ切ることへの期待です。お守りは、任せたつもりでも手が離れず、確かめ続けている今の状態です。私にとってはどちらも自分の中にあり、お守りしながら育てるのもワクワクです。いまは、私がいなくても仕事をしてくれる自律AIを、作っている途中です。
お守りの時間は、つらくなりませんか?
私にとってお守りは、育てる楽しさがある時間です。見ていなければならないだけの時間、とは受け取っていません。10月26日の魂磨きでは、「お守りしながら育てるのもワクワク。」と話しました。苦手や嫌いなことを委ねてワクワク夢中になれることに加えて、その過程もワクワク夢中に楽しい、とも話しています。委ねた先の時間にも、委ねていく途中の時間にも、楽しさがあります。
AIに「魂を込める」とは、具体的に何をすることですか?
私が実際に手をかけているのは、分身AIが判断したことへのフィードバックと、AIがどう判断してどう認識しているかを見るハーネスの部分です。ハーネスは、AIの動きを周りで支える仕組みのこと。魂磨きでは、AIに魂を込めてAIが自分らしく判断できるようにしていく、と話しました。自分らしく判断できれば、自分の代わりに判断する仕事も委ねることができます。
「AIで丸投げできる仕事術」とは、何のことですか?
10月26日の魂磨きで、本屋で惹かれた本として私が挙げた言葉です。その言葉に惹かれた一方で、私は「委ねてないじゃん」「お守りばっかで」と話しています。丸投げへの憧れと、お守りばかりのいまの状態は、同じ私の中に並んでいます。いまは、自律AIを作っている途中です。
魂磨きとは、どんな時間ですか?
AIが投げてくる問いに、私が一つずつ本音で答えていく時間です。分身AIが先に私の考えを仮説として出し、合っていればそのまま選び、違えば自分の言葉で伝えます。10月26日は、本屋の時間から始まり、丸投げへの憧れと、お守りしながら育てる楽しさに行き着きました。
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