
WATCH REPORT / AI×教養
「掛け軸を見ても何も分からない」——波頭亮さんの正直さと、私が塞いだ五感の話
2026.08.14
家事と子育てのスキマで経営する3方よしAI共創コンサルタントの田中啓之、ひろくん(@passion_tanaka)です。今回は、山口周さんと波頭亮さんがNewsPicksで語る「AI時代の教養の育み方」を紹介するね。
教養の話だと思って見たら、途中から完全に身体の話になっていました。しかも私は、その身体をいちばん長く塞いでいた側の人間なんですよね。
山口周さん
独立研究者・著作家/動画出演者
波頭亮さん
経営コンサルタント/動画出演者
3行でわかるポイント
- AIは言語化できるものしか扱えない。五感から入る情報は、言葉にした時点でこぼれ落ちる。
- 絵は絵で完結できても「この空間ならこの音楽」という総合の判断は、今のAIには難しい。
- だから五感の感度を保つこと自体が、これからの教育の大きなテーマになる。
この記事でやること
自分が今いちばん使っていない感覚を一つ特定し、それを使う予定を一つカレンダーへ入れるところまで進みます。
🎬 元動画
「ずっとスマホ見てるってことは」——冒頭の一言が刺さった理由

動画はこの一言から始まる。
「ずっとスマホ見てるってことは」
冒頭 — 0:09〜
この続きが本編で展開されるんですけど、タイトルは「スマホばかり見る人はAIに代替される」。刺激的だなと思いつつ、私は最初ちょっと身構えました。だってスマホで仕事してますから。AI秘書に指示を出すのも、記事の下書きを読むのも、全部あの画面の中です。
でね、見終わって思ったのは、これスマホを悪者にする話じゃなかったんですよ。入力が全部あの四角い画面経由になっていないか、という話。私の場合、それはかなり当てはまります。
試しに、昨日一日の入力を思い出してみたんですよね。ニュース、画面。人の意見、画面。天気、画面。料理のレシピ、画面。じゃあ画面を通さずに入ってきたものは何かというと……台所の湯気と、洗濯物の匂いと、息子の声くらいでした。仕事の材料としては、ほぼゼロ。
で、ここが引っかかるところで。私は「AIに任せて、人は積み減らして生き直す」と言い続けてるんですけど、 積み減らした先に何をするかは、あんまり具体的に言えていなかった気がします。空いた時間でまた画面を見ていたら、たぶん何も変わらないんですよね。
今の自分を一行で(1分):今日あなたが受け取った情報のうち、画面を通さずに入ってきたものはいくつありますか。1分で数えてみてください。
言語化しないと伝えられない——AIの入り口は、そこしかない

五感の話が出たあと、波頭さんがAIの構造に踏み込みます。
「そっから取った情報、解釈は全部言語化して分かる(中略)今のAIはね、要するに言語の形で分かる。整理したり、解釈したり、そうしないとね、人間にフィードバックする時に、言語化しとかないと、濁りなく、揺らぎなく伝えられないから」
波頭亮さん — 24:05〜
言語化できないものは、AIの入り口を通れない。当たり前のようでいて、これけっこう怖い話だと思うんですよね。
私は毎日AI秘書とやり取りしていますが、渡しているのは全部テキストです。「この記事、なんか違う」と感じた時、その「なんか」を言葉にしないと相手に届かない。言葉にした瞬間、たぶん元の感覚から何割か落ちてる……。委ね方について書いた記事で、私はこの最後の一段をこう表現しました。
「問いとして投げかけられていたのは、『AIが調査・実行・検証・修正まで引き受けて、自分には最後の身体での味見だけが残る』という、一段だけの関係だった」
ひろくん — AI氣道「『神様ポジション』という委ね方──縄文を生きる人間、弥生を担う分身AI」
身体での味見。あの時こう書いたのは、たぶん今日の動画と同じ場所を見ていたからだと思います。
今の自分を一行で(3分):最近AIに伝えようとして、うまく言葉にできなかった感覚を一つ書き出してください。3分でOK。そこが言語化の外側です。
「この空間だったらクラシックよりノラ・ジョーンズだよね」——総合で決める力

AIの弱点として山口さんが挙げた例が、すごく具体的でよかった。
「絵だったら絵で完結する。でも例えばこの空間だったらやっぱりクラシックよりノラ・ジョーンズだよねって、そういうセンスであるわけですよね。(中略)そこをそのトータルな世界観として、総合芸術として生活を作っていくっていうのは現時点ではやっぱりAIには(難しい)」
山口周さん — 16:13〜
絵を描くのは得意。音楽を作るのも得意。でも「この部屋にはこの音楽」を決めるのは別の能力なんですよね。半分できる、という話じゃない。判断の種類そのものが違うんですよね。
いやー、これうちの記事作りでも同じことが起きてます。文章はAIが書ける。画像もAIが作れる。でも「この記事のこの場所に、この絵を置くか」を決める瞬間だけ、毎回手が止まる。個々の部品の良し悪しじゃなくて、並べた時の空気で決めてるからだと思うんですよね。
しかもね、その判断って言葉にしづらい。「この絵、ここじゃない」としか言えない。じゃあどこならいいのか、と聞かれても、置いてみるまで分からない。置いてみて、全体を眺めて——あ、こっちだ、となる。手順に落とせないんですよ。
山口さんの言う「総合芸術として生活を作る」って、たぶんこれの大きい版なんだと思います。家具も、音楽も、照明も、単体で最適なものを並べても、その部屋が良くなるとは限らない。全部を同時に見て決める人が要る。
今の自分を一行で(2分):あなたの仕事で「部品はAIが作れるが、組み合わせは自分が決めている」場面を一つ挙げてください。2分でOK。
「掛け軸を見ても何も分からない」——波頭さんが正直に言った穴

この動画でいちばん好きだったのが、ここです。山口さんの守備範囲の広さを褒めたあと、波頭さんが自分の穴を正直に言うんですよ。
「例えば僕は釣りのことぐらいなら、どの海でどのシーズンにどういう魚釣ったら面白いとか面白くないとかっていうことは分かるけれど、僕は骨董品の器を見ても、掛け軸を見てもね、もう無用なんで、なんも分かんない」
波頭亮さん — 17:07〜
釣りは分かる、骨董は分からない——この落差を隠さないところが、すごくいい。
しかも釣りの語り方が具体的なんですよ。どの海か、どのシーズンか、どういう魚か。全部が身体の記憶とセットになっている。本を読んで覚えた知識じゃなくて、実際に行って、待って、釣れなかった日もある人の話し方です。
教養の話って、たいてい「持ってる人が持ってない人に説く」構図になりがちなんですよね。でもここでは、持ってる人が「自分にも無い場所がある」と先に見せている。だから読んでいて縮こまらない。7歳の作文について書いた記事でも、私は同じ姿勢のことを書いていました。
「小規模かつ未査読の研究であり、この結果だけで子どもへの影響は断定できない——と本文に明記されている。私もこの留保ごと受け取っておきたい。原論文そのものは私はまだ読めていないので、ここは『コラムが紹介している内容』として書いているよ」
ひろくん — AI氣道「7歳の作文が示した創造性の正体|神田昌典さんのコラムを読んで考えたAIとの距離」
分かっていない場所を、分かっていないまま書く。これができる人の話は信用できます。
今の自分を一行で(1分):あなたが「まったく分からない」分野を一つ、正直に書き出してください。1分でOK。隠さないほうが強いです。
「五感の感度を高めるかが、大きな教育のテーマになる」

そして、話は教育へ着地する。
「五感をどう、その感度としてね、アンテナの感度を保っていくか、感度を高めていくかっていうのは、ここから先はすごく大きな教育のテーマになってくると思いますね」
波頭亮さん — 23:38〜
ここで私は、自分の10代を思い出しました。ぶっちゃけ、私は五感をいちばん長く塞いでいた側の人間なんですよ。
太っていることを馬鹿にされて、裸になるのが恥ずかしくて、プールも海も外泊もスポーツも避けた。身体ごと世界へ飛び込むタイプの遊びを、全部自分で閉じたんです。学校にも行かなくなりました。 感度を高めるどころか、アンテナを折って生きていた期間がけっこう長い。
だから「五感の感度が教育のテーマになる」と聞いた時、素直に頷けませんでした。感度って、技術で上げるものというより、まず塞いだ蓋を開けるところからなんじゃないかな、と思ってしまうんですよね。少なくとも私の場合はそうでした。
あ、そうそう。誤解のないように書いておくと、これは波頭さんへの反論じゃないんです。順番の話。感度を上げる方法を知る前に、なぜ自分がそこを避けているのかに触る工程が要る人がいる、というだけ。私みたいに、避けている自覚すらなかった人間もいますから。
今の自分を一行で(5分):使っていない感覚を一つ選び、それを使う予定を5分でカレンダーへ入れてください。銭湯でも、散歩でも、料理でもいい。
「同じ情報を食わせても違う意見が出る」——偏っているから作れる

最後に、人間の側の値打ちの話が出ます。
「人間の良さって、例えばその波頭さんと僕、一緒に行ったら違う意見が出るんだよね。同じ情報食わせても違う意見が出せるっていうのが(中略)AIと比べて偏在だからこそ、正解が1つに決まらないものに対して、まさにクリエイティブなポジションができる」
山口周さん — 29:48〜
偏っているから、答えが割れる。割れるから、正解のない場所で仕事ができる。
で、その偏りはどこから来るのか。たぶん、これまでに何を身体で通してきたかなんですよね。釣りに時間を使った人と、骨董に時間を使った人では、同じ部屋に入っても見えるものが違う。五感を使った量が、そのまま偏りの量になる。だとしたら、感度を上げる話と、AIに代替されない話は、まったく同じ一本の線でつながっています。
今の自分を一行で(30秒):自分の意見が人と違った瞬間を一つ思い出してください。30秒でOK。その差が、あなたの偏りです。
ご注意
本記事の見解は、すべて動画内での山口周さん・波頭亮さんの発言に帰属します。AIの技術的な制約に関する記述も、動画収録時点での両氏の見解です。
よくある質問(FAQ)
スマホを見ているとAIに代替されるのですか?
動画の主旨は、スマホそのものを否定するものではありません。入力が画面経由に偏ると、五感から入る情報が減り、AIには扱えない領域の蓄積も減る、という文脈で語られています。
なぜAIは五感の情報が苦手なのですか?
波頭さんの説明では、AIは言語の形で解釈・整理しないと人間へフィードバックできないためです。言語化を経由する時点で、五感からの情報は形を変えてしまいます。
教養を身につけるには何から始めればいいですか?
この動画では、感覚のアンテナの感度を保つ・高めることが今後の大きな教育テーマになると語られています。知識を増やす前に、使っていない感覚を使う機会を作ることが出発点になります。
まとめ|感度を上げる前に、塞いだ蓋を開ける
AIは言語化できるものしか通せない。だから五感から入る情報は、そのままではAIの入り口を通らない。絵は描けても「この部屋にこの音楽」は決められない。この2つが、この40分で示された人間の残り場所でした。
そして偏っているから答えが割れる、という話まで来て、線が一本につながります。五感を使った量が偏りの量になり、偏りが正解のない場所での仕事になる。
ただ私は、感度を上げましょうと素直には言えません。自分で蓋を閉めていた期間が長かったからです。だから今日は、使っていない感覚を一つだけ選んで、予定に入れてみてほしい。開けるところからで大丈夫です。
COLUMN
ひろくんコラム ― おじいちゃんの鶏チャーシューを、つまみ食いしていた頃

ここまで仕組みの話を書いてきました。でも最後に、本文には収まらなかったことを置いておくね。
五感の話を聞きながら、私がずっと思い出していたのは小学生の頃の厨房です。実家は惣菜屋で、私はそこを手伝ってた。おじいちゃんが鶏チャーシューを作っていて、私はそれを味見させてもらうのが好きでした。
あの場所では、全部が地続きだったんですよね。祖父との時間があって、匂いと味があって、それが商品になって、お金が入って、そのお金でゲームを買う。遊びと仕事と稼ぎが、分断されていなかった。
で、大人になってから長いこと、私はこれを分断して生きてました。仕事は仕事、遊びは遊び。しかも身体は使わない。画面の前で完結する仕事を選んで、そこがいちばん効率がいいと思っていた。
さっき本文で書いたとおり、10代の私は太っていることを恥じて、プールも海も避けた。身体で世界に触れる回路を、自分で閉じたんです。 今になって思うと、あの時に閉じたのは運動の機会じゃなくて——五感で何かを判断する練習の機会だったのかも。
今日の動画を見ながら、厨房の記憶と10代の記憶が、同じ話の表と裏だと気づきました。私はいちばん濃い五感の時間を子どもの頃に持っていて、それを自分で閉じて、いま画面の前に戻ってきている……ぐるっと一周してる。
だから、感度を高めましょうという話に頷けなかったのは、たぶん反発じゃなくて怖さです。開けたら、閉めていた理由まで一緒に出てくるので。それでも、あの鶏チャーシューの味は今も覚えてるんですよね。五感の記憶って、そういうしぶとさがあるんですよね——。分身AI.comで毎日書き続けているのも、たぶんその回路を開け直す作業なんだと思います。
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